国際ジャーナリスト・田中 宇(たなか さかい)

注釈
05 /31 2006
注2田中 宇

国際ジャーナリスト/田中宇さんのメルマガをかねてより購読している。

いつも思うのは、その膨大な取材と資料の大さだ。

私達が見ているニュースがいかに情報操作されたものであるかを疑わざる得ない事実がこれでもかというくらい突きつけられる。

新聞にしても、ニュースにしても、そのバックボーンとなる企業や組織の思想的介入は否めないとしても、私は事実が知りたい。

日本におけるニュースのソースの源はひとつなのかもしれない。

同じニュースでも国により、全く異なった報道がされる。
北朝鮮などは、笑える位それが顕著だ。

【真実はどこに?】

そう、それは自分自信で紡ぎだすものなのかもしれない。

色んな報道を観て、情報テラシーする。

そして田中さんの情報を見て唖然とする。
「そ、そんなウラ事情があったのか・・・絶句!」

そしてまた、テラシーを試みて自分なりの結論を出す。

その意味においても、他の既存の情報とは全くといっていいほど隔絶している。切り込み方はいつも意外性に満ちている。
様々な情報を集めて、田中さん独自の結論が出現する。

世界で起こる出来事の真実が知りたい方は、情報テラシーのひとつとして、ご一読をお薦めします。

田中 宇/国際ジャーナリスト
http://tanakanews.com/
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ガーダ・パレスチナの詩/古居みずえ

フォーカス 日記
05 /30 2006
5月ラストの週末。
ニュースの特集で、取り上げていた。

「凄い人がいるものだ・・・」

調べてみようと思いつつ雑事に追われ2、3日が過ぎてしまった。

兼ねてより購読していた国際ジャーナリストの田中宇注2)のメールマガジンが配信された今日。
ヘッダーに古居みずえガーダ・パレスチナの詩の広報があった。

逸る心を抑えながら、公式HPに飛ぶ。

古居みずえ・女性ジャーナリスト

1998年から14年間に渉り、戦火パレスチナを取材。
その集大成として【ガーダ・パレスチナの詩】を製作。
今、静かに世界を揺り動かし始めた。

古居さんは37歳の時突然リュウマチで一年ほど、歩行困難なまでに見舞われた。
もうだめかも・・・と思った時、奇跡的にも投薬が効き危機的状況を免れた。

「一度きりの人生、何かを表現したい!」

と思い、OLからジャーナリストに大転身した。

常に生死と隣合わせの現場においての文字通り命をかけた取材。
ガザ地区難民キャンプで生まれ育ったガーダの生き方を軸に、強く・たくましく・しなやかに生きる女性達の姿が紡がれていく。

私が縷々述べるよりも興味のある方は是非HPを訪問してみてください。ダイジェスト版を観ただけで、涙が止まらなくなりました。
 
ガーダ・パレスチナの詩
http://jyoueikai.ghada.jp/#top

プロフエッショナル~仕事の流儀 (016)’06.5.25

仕事の流儀
05 /26 2006

樹木医・塚本こなみ(56)
22歳で造園業を営む明さんと結婚3人の子育ての傍ら経理を担当する。全く何も知らない状態から少しずつ樹木の名前や特徴等を勉強。

夫の仕事を傍らで見るにつけ何時しか

「自分ならどうする・・・」

が芽生え始めていた。

独学で樹木の勉強を始め、43歳で女性初の樹木医の資格をとった。

色んな仕事をこなしていくうち、評判は広まり2年後、樹齢130年の大藤の移植の大仕事を依頼される。

過去に成功例はないものの、やってみたいと思い引き受けた。

仕事にのめり込みすぎ、家事が疎かになることを見かねた夫から「そんなに仕事をしたかったら出て行け!」と言われた。

私は「家族も仕事も捨てられない」と、両方を選択した。

・仕事の愚痴はいわない
・疲れた様子をみせない

ことを自分に課し、危機を乗り切った。

大藤の移植は、どのようにして幹を傷つけずに運ぶかがポイント・後、移植まで1ヶ月しかない・・・

途中何度も「なんで引き受けてしまったんだろう、、、」と後悔した。

スタッフのひとりが現場に向かう車中の雑談で、若い頃事故で骨を折り石膏をはめられた話を聞いてこれだ!と思った。

人間ならどうする? を考えると治療法が見えてくる。

翌年大藤は新しい土地でみごとな花を咲かせた。

こなみさんが現場でまずすることは
【樹木の声を聞く】
・手当て・・・手を当てて木の様子を感じ取る。

【木の立場で考える】・この木が私だったらと考えるとわかることがたくさんある。

「樹は声を出せないけれど、訴えているんです。それに気付いてあげることが私の役目」

「【樹木と向き合う】といつも思うんですけど、人も樹も生命として同じだなって、私がこの樹をを治療してやる!って思うとだけなんですね。『教えてください』というと教えてくれるんですよ。人間が大自然の樹木を治療するなんておこがましいって思いますよ」



「いつも思うんですよ、悩んだ先にしか答えはないって、こうしてずっとこの繰り返しなんだと思います。」



また、茂木さんとのこの会話はおもしろかった・全く同感

こなみ「あまり深刻に考えないで、やってしまうんです。やらないとわからないでしょ。すぐやってみるんですよ。なんでも」

茂木「そうなんです。考える事事態がすでに壁なんですよね。考えるより行動してみる。脳科学からみても正解です」

茂木「塚本さんにとってのプロフェッショナルとは」

こなみ「一生この道を極めてみたいと思い続ける人」

ひとつのことを極めていくと、どんなものであれ、自ずと宇宙の真理・大自然の法則を感受することになる。
人としての〈生きる道〉が見えた気がした。

HQ論/人間性の脳科学

Book ARCHIVES
05 /18 2006


かなり学術的で難しい。私の理解の追いつかない所が多々ある。
しかし、読み進めていくにつれ、あの世界的に有名なそして私の好きな脳外科医ペン・フィールドを彷彿とさせる。

序文冒頭にはボーボワールの言葉があった。

世界を知ること、それが彼の生涯の願いだった

【人間とはなにか?】数千年もの長きにわたって抱かれ続けてきたこの問題に、生物学(主に脳科学と進化生態学)の観点から(主観的にはかなり力を込めて)論考したのが本書である。



自分とは、人間とは何か?
私がこの問題につかまってから、すでに30年も過ぎてしまった。
「すべてを投げ打って」というほどではないが、自分の生活は、結局は
この問題を中心に営まれてきたように思える。/引用


本書の核をなすもの、前頭連合野の中心的な神経システムを【脳間・脳内操作系】とし、その機能【HQ(超知性・人間性知性)】を礎に【人間とはなにか?】を統合的に解いている。

HQは人間性の中心となる脳機能のことである。

そのことが脳科学に基づいて、紐解かれている「実践脳科学書」である。
これは一般的IQの高低とは関連はあっても別枠である。
(知能が優れていても、世界未曾有のあの事件を引き起こした宗教団体の例でも分るとおり)

今まさに時代は新しいこのような提言を待ち望んでいたのではないかと思うのである。

また、最近興味があり調べていたADHD(注意欠損他動性障害)においてもHQ障害として論考記述されている。【人間とは?】を知る手ががりとしての重要なヒントがありそうだと推測している。

まあ、私論は今後別枠で述べるとしても自分にとっての雲をつかむような【人間とは?】という命題にある確信と大きな示唆を与えてくれた本である。

澤口俊之先生、有難うございます!!


カタカムナとは?

注釈
05 /17 2006
上古代文明・カタカムナ

上古代日本に存在していたカタカムナ人いよる非常に高度な直感物理である。

高名な物理学者・楢崎皐月(ならさきこうげつ/1899~1974)は、兵庫県金鳥山において平十字(ひらとうじ)と名乗る人物から【カタカムナ神社のご神体】として伝授された巻物である。

楢崎氏はこの書物に記されるカタカムナ文字の解読に心血を注いだ。

現在はその継承者として宇野多美恵氏が相似象学会誌を発行している。
一般書籍としては刊行されておらず、私も十年ほど前に直接手紙をしたため送って頂いた。全巻読破は至らずが大変共振し少しずつだが読み進めている。

カタカムナの意味・・・

カタ・・・目に見えるこの宇宙がすべてではなくそれは片方である。

カム・・・象(カタチ)なく、目に見えぬ潜象世界

ナ・・・・主(ヌシ)の意

この世に見える(顕現する)すべてのものは、潜象世界が存在する所以である。それは科学的証明は難しいものの、物理学的見地からはその潜象する物理量を認めない訳にはいかぬ事象は明らかである。
よって、この世のすべては相似をなしていることを基本にこの直感物理はなりたっている。

(私なりに学会誌を読んでまとめてみましたが一言でいうのは非常に困難です)

その内容は
*アマウツシ・カムウツシ/共振波動を獲得するための必要エネルギーの補給物理

*サヌキ・アワのサトリ/本来の自分の性とその質を知り潜在アワ量を増やすことが固有振動を高調させ生命の波動量を上げることになる。

*フトマニのサトリ
等など、膨大である。

なじみの無い独自の言語形態のため、胡散臭く思われることは否めないが宗教ではない。直感潜象物理学である。

簡単ではあるが、以後は別項で実践・研究していきたいと思う。

イングリット・フジ子・ヘミング

フォーカス 日記
05 /16 2006
NHK【題名のない音楽会】

2週に渉り、大ブレイク中のピアニストイングリット・ふじ子・へミング の特集。

ふじ子の簡単なプロフィールを紹介しよう。

日本人ピアニスト・大月投網子とスエーデン建築家の両親の元、ベルリンに生まれる。

5歳の時、日本に帰国するも父は祖国へ帰ってしまい、以後母の手一つで育てられる。

6歳から母よりピアノの手ほどきを受ける。
スパルタ教育で非常に厳しく、罵声をあびせられながらのレッスン。

小3の時ラジオ出演し、天才少女の名を馳せる。

東京芸術大学在学中も日本音楽コンクールで入賞するなど多くの賞を受賞する。

卒業後は国内有名オーケストラと競演するなど活躍していた。
たまたま来日していたサンソン・フランソワはふじ子のショパンやリストを聞き絶賛した。
ふじ子がウイーンで師事していたパウル・パトゥーラ・スコダは
リストとショパンを弾くために生まれてきたピアニストと称した。

20世紀最大の作曲家・ブルーノ・アデルナに彼のソリストとしての契約を受けたことはふじ子が最も誇りにしている事だ。

28歳の時ドイツ留学。

バーンスタインの支持を受けリサイタルを開催するもその前日に聴力を失い失意のどん底に叩きのめされる。

生活のためにあらゆるバイトをしながら治療。
聴力も少しずつ戻り、ピアノ教師として生計をたてる。

聴力を失いながらもふじ子はピアノを引き続けた。

1995年母の死をきっかけに帰国。

母校芸大で行われたコンサートが大反響となり大ブレークする。

現在聴力は40%ほど回復している。

1999年、8月25日のデビューCD奇跡のカンパネラはクラシックCDの記録を塗り替え、54万枚を売り上げた。
今も尚売れ続けている。

へミング・ふじ子の公式HP
http://www.fujiko-hemming.com/

*私はショパンのノクターンが好きでよく練習していた。
それこそ色んなピアニストのノクターンを聴いて解釈や弾き方を研究したが、自分の技量のなさもあり、どれもしっくりこずにいた。

だが、先日の題名の無い音楽会でふじ子の演奏を聴いて
”そうか、そうなんだ”
と私の中でどこかにストンと堕ちた。
どこがどうとは説明が難しいのだが、”これだよ、これなんだ”
というなにか確信めいたものが浮上した。
行き詰まっていたものに一筋の光明が射した。

ふじ子の奏でるノクターンを聴きながら涙が溢れ落ちてくる。
音楽を聴いてこれほどの感動に打ち震えるのも久しぶりの事だ。

その演奏を私の陳腐な言葉で語りつくせるわけもなく返って台無しにしそうな予感・・・

でも言わずにはいられない。

こんなに暖かな愛に包まれた感覚・・・
それはどこかで知っているのだがどこなのか思い出せない
音一つ一つが生きている・息づいている
ただの音のかたまりや羅列ではない
そう、音ひとつひとつが性格を持った一つの人格みたいに色がある。

そのひとつひとつの色を持った音が美しいメロディーを紡いでいく

もう目が離せない、いや耳が釘付けになる。

ふじ子の指先から鍵盤を打つ瞬間に全身全霊を駆け巡る愛が注入されるかのようだ

すべての余分なものをそぎ落とした後に残る崇高で濃厚な抽出物

長い苦難の道のりがその歳月のすべてがひとつひとつの音に宿っている

すばらしい音楽をありがとう!!



フジコ ヘミングCDアーカイブス

コンテンポラリーダンサー・SATOSHI KUDOU

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05 /10 2006
工藤 聡との出会いは、コマ劇場でのあるミュージカルへの出演が切欠だ。大きな瞳をクルクルさせて切れのよい動きを見せていた。

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NHK・ 探検ロマン~世界遺産

フォーカス 日記
05 /07 2006
アントニー・ガウディーの世界

アントニー・ガウディー・イ・コルネは1852年6月25日スペインのバルセロナから100Kmの地中海沿岸を臨む農村の田舎町レウスに生まれる。父は金属工であった。

幼少よりリウマチを患い彼のもっぱらの友人はカタツムリやトカゲなどの小動物や虫たちだった。

26歳の時、パリ万博に出品した作品が大富豪グエルの目に留まり、彼の依頼で多くの設計をおこなった。

31歳の時サクラダ ファミリアの設計・監督を任された。
余りの複雑壮大な建築のため、高さ170mの完成まではは20年後とされている。

ガウディーは設計の際、数学的な机上の数式は一切行わず、糸と錘を使って建築構造の強度を確かめた。徹底的な実存主義を貫いた。

1926年 路面電車に轢かれ3日後に73歳の生涯を閉じた。

「真の建築とは高い山に登るようなものだ。
自己鍛錬と時には自己犠牲しなければならない。」


人間は仕事を通じて成長していくのであると思う。
たとえどんな仕事であってもそれは創造の場なのだ。

学歴も何もない少年がスーパーに勤めた。彼は自分に出来ることは〈お客さんが商品をいかに見やすく取り易くするかだ〉と思い試行錯誤しながら一生懸命考えた。そして実行した。新しいアイデアを次々と出し、売り上げはどんどんあがっていき彼もどんどん昇進していった。
そして彼はユーザービリティーを発揮することにより、起業し大富豪となった。

「人間の創り出すものはすべて自然という書物の中にかかれている。人間はそれを読み解かなければならない。

「独創とは原点に戻ること」

私はいつも思うのだ。自然とはアートそのものだ!と。
神が、(宇宙に蔓延するエネルギーが)創ったアートだと。
そこに人間が共振するのは当然なのだ。
人間もこの宇宙に生を受けた創造物なのだから・・・

その自然という芸術性を自分の中に取り込みアウトプットすることで己が見えてくる。そしてその分世界を理解できる。

美しい風景の中に・・・花に空に星屑煌く夜空に、風の香りに・・・
そしてそれを感受し感動する人間の心にインスパイアされ突き動かされる芸術家。表現せずにはいられないその衝動こそ芸術の源泉。
人並みはずれたその感受能力こそ創造の源である。

ガウディーの作品は、怖いとかオドロオドロしているとかいわれるが、
私は大好きである。
その作品を観るにつけ魂は沸き立ち歓喜する。
直線はなく湾曲した流線型が細胞をほっとさせる。
考えてみれば人間の身体にしても自然の中にも直線は存在しない。

(天才漫画家・手塚治虫の線もまろ味があり生きている)

ガウディーの作品を観る時、どこかシュタイナー建築を想起させる。
シュタイナー建築が霊的な何かを刺激するとするならば、ガウディー建築は魂を得もいえぬ喜びで湧き立たせる。
無性に楽しくなって住んでみたいことしきりだ。

最後に・ガウディーを調べていて出会った選りすぐりサイトをご紹介しておこう。ガウディーに関して他のどのサイトよりも充実している。
http://www.guell.co.jp/gaudi/


鍵盤の魔術師/ウラディーミル・ホロウ゛ィッツ

CD ARCHIVES
05 /07 2006


HOROWITZ
DISCOVERED TREASURES

ホロウ゛ィッツは1903年ロシアに生まれた。
キエフ音楽院で学び1920年にピアニストとしてデビュー。
”26年にはベルリンでのデビューも果たす。
”28年に渡米しカーネギーホールリサイタル。
1953年に突然引退し以後12年間活動を停止した。
1965年再びカーネギーホールで復帰コンサート。
1989年NYで没。

グラミー賞27回受賞。他数多くの賞を獲得している。

ラフマニノフも絶賛した超絶技巧と強靭でいて繊細な音。
しかし、12年の休止後に再び果たしたコンサートはそれまでの演奏とは明らかに違っていた。

完璧なテクニックに裏打ちされた鋭く豪快かつ繊細な音に加え、ダイナミックでありながらも上品で華麗で優美な音色はすべての人を魅了した。

無一文から巨匠としての名を世界に馳せるまでの彼の人生は波乱万丈に満ちたものだったのはいうまでもないであろう。

ひとつの曲を演奏するために、「その作曲家の全作品をしらねばならない」と言い実行した彼。
録音時のエピソードでもたびたび語られるように完璧主義の一端がうかがえる。

演奏するとは「作品の知的解釈ではなく、主観的な再創造のプロセス」
だという彼の言葉は真の芸術家でなければ言えない言葉だ。

ショパンの曲を深く知りたい方にはホロウ゛ィッツは他の群を抜いている。
ピアノ一台でオーケストラを聴くほどの満足感を与えてくれる。
まさに晩年のホロウ゛ィッツは魂のピアニストと呼ぶに相応しい。

わにの昼寝

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05 /02 2006
ノンフィクション作家志望・わに

わにの昼寝
http://motowani.net/


わにと出会ったのは・・1992年あたりだったろうか?
その頃東京で一緒に暮らしていた妹やよいがバイト先で知り合い家に連れてきた。

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ロックから演歌まで・尺八ミュージシャン森淳

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05 /02 2006
尺八男・常時尺八リスン
http://plaza.rakuten.co.jp/shakuharisun/

演歌からロックまでダイナミックで深みのある暖かな音色は多くのファンを魅了して止まない。
彼の演奏を聴いていると音楽は魂だと確信する。


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masumi.m

【idea astors school】スタニスラフスキー・マイズナーテクニックなど海外では標準のメソッドを学べる大阪の演技スクールです。自分自身を如何にプロヂュースしていくか!?演技訓練を通じて新たな思考回路を育んでいきます。

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